「美しい」を求めて
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無駄な時間とこだわりが生む美しい暮らし
広島市で中古住宅リノベーション提供している「おりいえ」です。
昨日は不動産の仕事でお世話になった、お客様の新居を見学しに岡山県笠岡市まで行ってきました。理想とするロケーション探し&その地に相応しい工務店様探しは本気の5年とのことです。
お客様の理想が叶った「思い出を育み」「思い出を懐かしむ」終いの住処でした。
そこで思い返したのが
今日は感動覚め止まぬ間に「「美しい」を求めて - 無駄な時間とこだわりが生む美しい暮らし」について思考することをブログにしてみます。美しい暮らしについて興味のある方はご一読ください。
「美しい」の存在
「美しいこと」の前書きには、「美しい」の存在について以下のように書かれています。
『ひとつの物語が生まれる場所に、ひとつ「美しい」があるんじゃないかと。何かと何かがであって、振動が生まれ、さざ波となり、新しい物語が始まる。その生成の現場に「美しい」は何時も立ち会っている。喜びであれ、悲しみであれ、もっとささやかなものもであれ、人の心をふるわせる物語とともに「美しい」は生まれ、現れて、形になったものはまた何かと出会い、別の物語を生み出していく。』
これを私自身の言葉で言うと、「美しいは良い出会いによってしか生まれない」ということです。
美しい暮らしの本質は「無駄」にある
「美しい」を追求する価値は、利益追求の視点からは理解しきれません。
なぜなら、「美しい」を探し求める時間は必要であり、それは、さまざまな「無駄」からしか生まれないからです。美しい暮らしの本質は、経済的合理性から逸脱した「無駄」にあります。
無駄な時間の中の「美しい」と「売るため」の視点ギャップ
建築家が世界を旅し、美しいものを追求し、思考に美しいものを溜め込むのは、この「無駄」とされる時間から生まれる価値を知っているからです。
しかし、「売るため」の視点のままに身をおいているとこの価値は見えにくいかもしれません。そのため「売るため場から」の視点で無理に「美しい」を直結させようとすると、その本質が見えづらくなり、広告や言葉で隠され勘違いすることになるでしょう。
その結果、「美しい」を共有することは難しく、むしろ争いの元になります。これこそが住宅業界の闇の一面で、多くの人々が潜在的な不安を感じている部分です。
「美しい」を追求するこだわりと「無駄」
だからこそ、「おりいえ」では、「美しい」を追求し、その過程で生まれる新たな価値を大切にし、それを通じたリノベーションを行っています。それが、「おりいえ」のこだわりとする価値観です。
正直に言うと、「美しい」を共有できない企業や担当者との打ち合わせは、「美しい」の価値を理解できない以上、「無駄な時間」でしかありません。
一緒に「美しい」を追求しませんか?
「おりいえ」では、「美しい」を探し求める時間を「無駄」ではなく、「価値」と捉えています。その価値をM様より改めて学ばせていただきました。私たちの理想は、この考えに共感いただけるお客様と共にリノベーションを進めていくことです。
「美しい」に対する無駄な時間の必要性について、我々の持論を述べさせていただきました。もし、この考え方に共感いただける方がいらっしゃいましたら、どんな小さなことでも構いませんので、ぜひお問い合わせください。
最後に、「M様」美しい空間、美しい物語をありがとうございました。